潮風が心地よく吹き抜ける横須賀のヴェルニー公園。
海を静かに見つめるように、重さ約100トン、長さ約20メートルにも及ぶ巨大な鉄の塊がたたずんでいます。
それは、かつて海に沈んだ戦艦「陸奥」の主砲です。
この圧倒的な存在感を放つ遺産が、80年もの時を経て故郷・横須賀へ帰ってくるまでには、ひとりの男性の、熱く、深い想いがありました。
その人物こそ、齋藤隆さん。
防衛大学校を卒業後、潜水艦艦長や海上幕僚長を歴任し、第2代統合幕僚長を務めた人物です。その歩みは、防衛の最前線とともにありました。そして、横須賀で生まれ育ち、地域とともに歩んできた一人でもあります。
「過去より、今が大事だ」
歴史を懐古することに、これまでの人生で重きを置いてきたわけではありません。しかし、人生の節目を迎えたとき、「自分たちのルーツを見つめ直さなければならない」と、想いが静かに芽生えます。
そんな時、引き揚げ後、42年間にわたり東京・お台場で展示されていた陸奥の主砲が、再開発の波にのまれ、行き場を失って廃棄されてしまうかもしれないという危機に直面します。
80年の時を超えて——戦艦「陸奥」と主砲の辿った運命

陸奥は1921年(大正10年)に横須賀で生まれ、1943年(昭和18年)に原因不明の爆発で多くの命とともに沈んだ悲しい歴史を持つ戦艦です。
1971年(昭和46年)に引き揚げられたとき、長い眠りから目覚めるように姿を現したのは、後部に配置されていた第4砲塔の主砲でした。
引き揚げられた2門のうち、1門は広島県呉市へ。
そしてもう1門が、東京・お台場の船の科学館に展示されることになります。
しかし、2020年には東京オリンピック・パラリンピックの開催が予定されていました。それに伴い、お台場地区では大規模な再開発計画が進み、大型客船の受け入れを見据えた桟橋工事も始まろうとしていました。
巨大すぎる主砲は、もはや陸路を運ぶことは不可能。残された道は「海」しかありませんでした。 しかし、お台場の再開発は情け容赦なく進んでいきます。もし周辺に構造物がひとつでも完成してしまえば、海からのクレーン船すら近づけなくなる。そうなれば最後、100トンの巨体は二度と動かすことのできない「開かずの遺産」と化してしまいます。
移設か、それとも廃棄か。
迫りくるタイムリミットを前に、主砲はやがて行き場を失おうとしていました。それは“歴史そのものが、このまま消えてしまうかもしれない”という危機でした。
立ち上がった元統合幕僚長・齋藤隆氏の挑戦

「このまま消えていいはずがない。これは、横須賀に帰るべきものだ」
有志とともに「陸奥の会」(のちの「横須賀海洋・IT教育の会」)を立ち上げ、「里帰り」を実現させるために奔走しました。2014年11月には船の科学館からの無償譲渡が正式決定し、第一関門を突破します。
しかし、最大の障壁は「資金」でした。移設費用として試算されたのは、およそ4,000万〜5,000万円。行政へ相談に赴くも「人的支援はできても資金は出せない」と首を振られてしまいます。周囲からは「大手企業に声をかければ、数千万円などすぐに集まる」という楽観論もありました。
しかしコンプライアンスや株主への説明責任が厳格な現代において、明確な理由がない限り、大企業からは「10万円すら出せない」とすげなく断られてしまうのでした。
地元の中小企業が繋いだ希望のバトン
追い詰められた齋藤さんたちを救ったのは、地元・横須賀の中小企業やオーナー企業でした。地元の経済団体に所属する熱意ある関係者が1週間予定を空け、人脈を頼りに様々な企業を回ってくれました。泥臭く頭を下げて資金をお願いして回る日々。
その情熱は、やがて大きなうねりとなって街を動かしていきます。
集まった賛同の声は、約3万人。167もの企業や団体が手を挙げ、5,808人の個人から大切な募金が寄せられました。
「これは一人ではできない。地元の力があってこそ、実現できたことだ」
2016年(平成28年)9月、 海を渡り、80年ぶりに横須賀の土を踏みました。 そして翌年3月、里帰りを祝う記念式典が、春の光のなかで執り行われました。
式典は、厳かな国歌独唱から始まりました。 主催者や来賓からの祝辞、そしてこのプロジェクトを支えた人々への感謝状贈呈。 ついにテープカットが行われたその瞬間、会場には割れんばかりの拍手が沸き起こりました。
式典を締めくくったのは、海上自衛隊横須賀音楽隊による勇壮な行進曲「軍艦」の演奏です。
鳴り響く旋律とともに、100トンの主砲は正式に、この街の一員となりました。 関係者や来賓だけでなく、多くの市民が詰めかけ、我がことのように喜びを分かち合う姿。
それは、一人の情熱が約3万人の心をひとつにし、不可能を可能にした「奇跡の里帰り」の証明でもあったのです。
守りたかったのは、日本の技術と記憶

自衛隊のトップまで登り詰めた人物が、これほどまでに身を粉にして守りたかったもの。それは、決して「戦争の遺物」や「兵器の強さ」ではありませんでした。
そこにあるのは、日本刀の技をルーツに持つ世界最高峰の製造技術であり、何もないところからわずか20年足らずで世界を驚かせるまでに至った「日本の近代化の証(あかし)」です。
戦艦の主砲などの遺物には、当時の技術者たちが注いだ知恵とたゆまぬ努力が深く刻まれています。齋藤さんは、「このような技術的な積み上げがあってこそ今の日本がある」ということを、特にこれからの未来を担う若い世代へ伝える必要があると考えました。
「主砲を通じて、日本の近代化を支えた横須賀の歴史を、一人でも多くの人に知ってほしい」
それは、この街の歩みを愛し、日本の未来を想う、心からの願いだったのです。
主砲が現代の私たちに伝えるメッセージ

失われた命の記憶。
未来へ残そうとした人々の想い。
そして、それを守り抜いた地域の力。
ヴェルニー公園に静かにたたずむ陸奥の主砲。 そこには「何もない時代に知恵を絞り、汗を流した先人たちの積み重ねがあったからこそ、今の豊かな日本があり、あなたの日常がある」という無言のメッセージが込められています。
横須賀にお出かけの際は、ぜひヴェルニー公園へ足を伸ばし、100トンの主砲が放つ圧倒的な存在感と歴史の重みを体感してみてはいかがでしょうか。
【追記】令和3年に主砲弾移設・展示

当初は陸奥の主砲と同時に展示される予定だった主砲弾ですが、海上自衛隊横須賀地方総監部との調整に時間を要したため、少し遅れて2021年(令和3年)11月にお披露目(移設・展示)されました。
横須賀市 ヴェルニー公園
横須賀市汐入町1-1
公式HP
陸奥記念館公式HP(外部リンク)



